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2013年御客様へ 3つの約束

2013年御客様へ 3つの約束

9年目を迎える今年、
御客様に3つのお約束を致します。

BeautyProducts代表廣瀬が、美容業界に足を踏み入れることとなった理由から、
ここに至るまでの経緯を少しご紹介させて頂きます。

OL時代

その当時参考にした本

前職は営業でした。営業の成績は入社1年目から退社するまでずっとトップで、同僚が毎月ノルマ達成に苦しむ中、私にとって結果を求められるのは全く苦ではなく、結果を出す喜びの方が大きかったです。

ですが、血気盛んだった私は、ただOLをやっている自分に満足できず、リスクを背負ってでも自分で「何か」成し遂げたいと考えていました。

ちょうどその当時は、自宅でネイルやエステを開業する人が出始めた頃でした。調べていくうちに、美容系の仕事は初期投資も少なく、女性が独立しやすい分野だと知りました。

修行時代

インターネットや町を歩いて、自分のやりたい美容技術を模索していたところ、
まつげエクステに出会いました。「目力(メヂカラ)」というフレーズが当時流行していたこと、大手ドラックストア経営者の、「女性の化粧品の約半分はアイメイクが占める」という言葉から、これは伸びると直感し、まつげエクステの技術者になることを決めました。

まつげエクステの技術を学びたい、でもスクールではなく実践で学びたいという思いがあったので、まずはOLをやりながら、赤坂のサロンで修行させてもらうことにしました。修行させてもらっていた時が、人生で一番働いたと思います。本業とは別に毎月100時間以上働き、先生のいじめにも耐えました(笑)。

2年程たったところで独立の目処がたち、起業に向けてOLを辞めました。

最初の事務所兼サロン

起業

なぜ商材屋を始めたのですか?とよく聞かれますが、起業当時から、「技術があれば教えることが出来る。教える人がいれば、商材も必要になる。サロン・スクール・商材の三本柱を目指す」と安直に考え、商材屋を始めただけです。結果的にメーカーが主軸になりましたが。

フリーで活動しながら、運良く仕入れルートが見つかり、2005年に商材屋「BeautyProducts」が実家の机からスタートしました。

その当時、まつげの商材屋さんが少なかった為、順調に倍々で売上は伸びていき、半年後、26歳の時に目黒に事務所兼サロンを構えることになりました。サロンというと聞こえは良いですが、わずか4畳のスペースのみで、家賃は73,500円。狭いスペースですが、自分の城が出来て非常に嬉しかったのを覚えています。

その後、商材の売上はさらに順調に伸び、移転拡張したり、スタッフが増えていきましたが、今思い起こせばその頃はあぐらをかいていたと思います。商材屋は、ただ商品を仕入れて、WEBにアップする。それが仕事だと思っていました。

転換期

起業してから3年目に、海外製のグルーに不具合が出ました。工場に対応を求めても、のらりくらりで対応してくれない。不良品を売るわけにはいきませんから、直ちに販売を中止しました。そして製造している人が見え、信用出来る「日本製」に変更することを決断しました。

販売にこぎつけたグルー

グルーが無いのはまつげエクステの商材屋にとって致命的ですから、もちろん顧客の何割かは離れていきました。ですが、数人からは、「信じて待つよ」と温かい声をかけて頂き、その言葉の御陰で、初めて直面した危機を踏ん張れたと思います。

色々なルートからやっと国内の工場を見つけ、そこの社長に「少しでも安心・安全なグルーを作りたい」と掛け合い、当時では珍しい「日本製の医療グレード」のグルーの販売にこぎつけました。

その時に初めて、物を売るということは「右から左」では無く、良いものを追求し、安定した供給で無ければならない事とやっと理解しました。また、顧客との信頼関係が無ければ、何も始まらないとも気付かされました。

2013年を迎えて

グルーの不良の時に学んだことは、それからずっと社内で繰り返し話されてきました。9年目を迎える今年、あの時学んだ、「在庫切れゼロ」「顧客満足」「サロンに役立つ情報」を加え、顧客の皆様へのお約束として、掲げさせて頂きます。この先5年、10年と御客様に必要とされる企業となれるよう尽力致します。

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